母と姑の関係
今日、庭でめじろを二羽とても間近で見つけました。あわててカメラを持ってきたときには、ヒマラヤスギの方にいってしまいました。中央右よりの上の方にシルエットになっているところです
2005年3月母との同居が始まりました。
5月姑がリハビリ目的で入院していた病院を退院して、そのまま飛行場に直行して我が家での同居がはじまりました。義妹と姪が姑を送ってくれました。
少し早い夕ご飯を用意して母と姑を待っていました。お赤飯を炊いたのを覚えています。
母が姑を見た瞬間、言った言葉です。
「お母さんは、なんてお顔にしわがなくて、きれいなんでしょう。すごく若く見えるわ。」それを聴いた瞬間、姑の顔がそれまで下を向いて無表情だったのが、急に明るくなりました。
みんなが、母の言葉を喜びました。
けれど、素晴らしかったのはそれだけだったといっていいくらい。
あとは、姑の食事をいちいち、何がこぼれた、こぼした方が多いくらいだとか、
手を使って食べるなんて、楊枝を使うのはどうかと思うとか、
毎回それはうるさいのです。
自分が散歩に出かけて帰ると、
歩けなくなったら、おしまいだ、みんなに迷惑をかけるとか、
目の前に歩けなくて車椅子に乗っている人がいるのに、、、、そう言うのです。
びっくりしたのは、お母さんは(姑のこと)本当は歩けるのに、面倒だから車椅子に乗っているんでしょうと言ったことです。
それに対して、姑は全く無視で反論しません。
あまり、母の言い方がしつこいと、「どうしてそう嫌味ばかり、いいなはるの?」と穏やかに言い返すくらいでした。
長女が来てくれたとき相談したことがあります。
長女が受け持っている生徒さんにも、車椅子に乗っている生徒さん、自分で歩ける生徒さんといます。
「自分で歩ける子供は、私が頼んでもないのに、先生、○○ちゃんの車椅子押してあげるってそれはうるさくいってくるわよ。自分で歩けるのと車椅子に乗っているという差は誰が見ても歴然としてあるから。自分は車椅子に乗らなくても歩けるってそれは自慢なのよ。」
「先生が○○ちゃんの車椅子押すからいいわよって言うだけ。大人も子供も同じなのだと思う。
放っておくしかないと思う。車椅子に乗ってても○○ちゃんのいいところは褒めるし、歩けても△△ちゃんの良くないところは注意するだけよ。」 だそうです。
姑は母の毒舌を聞き流しているようです。
たいていは母は悪口ばかり言いますが、時々、ものすごく的確な言葉で姑を褒めることがあります。
たいていは着ている洋服が良く似合うとか、スカーフとの映りがいいとかですが。
すると姑はあんなに悪口を言われているにもかかわらず、とっても嬉しそうで、お返しに母のことを褒めます。
二人のおばあさんがお互いに褒めあっているのは、なかなかほほえましいですよ。
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